第4章 千景(ちかげ)



 話、聴いてもらえるんですか?親切ですね。え、親切でやってることじゃない?あら、なんだ、そうですか…。でも、今までに私の話を聴いてくれるひとなんて殆どいなかったと思いますけど。ええ、ひとの話を聴くのって、基本的につまらないですものね。自己本位な人間が多いですから…。そう云うひとって、自分の話が一番好きなんです。そうですね…あの晩のこと…。

 酷く疲れる夜でした。それだけは、確かに云えることです。希にも、怜にも。そう、それは克也にも尚美にも、私についても云えます。あんなに疲れた夜は初めてでした。
 克也の車で送ってもらって、下宿に帰りました。降りたのは私が最後でした。彼、とても混乱していたみたいで、よくまともに運転出来たと思います。
 家に帰ってからも、一睡も出来ませんでした。たぶん他の三人もそうだと思います。友人が瀕死で倒れていて、その上消えてしまったのですから。でも、私は三人と同じような理由で眠れなかったのではありません。ただ、ずっと、考えていたのです。何故だろうか、と。
 本当に、一体どうしてあんなことをしたのでしょう。
 希に電話を掛けようかとも思いましたが、何度か突発的に、今尚美から電話が掛かってきたらどうしよう、と妄想して、独りでぼんやりしていました。何度も、今日の夕方のことを反芻しました。理由の分からない自分の行動をトレースしました。空が白むまで、夜が明けるまで。ゆらゆらと思考をいろんなところへ、彷徨わせ続けていました。寒い夜だった。
 あのとき。
 尚美を見つけた時はすぐに、加害者は克也だろうと思いました。希や怜はどうだったのか分かりませんが、私はそれを確信していました。根拠もなく友人についてそう考えるなんて酷いことかも知れませんが、私は昔から冷たいと云うか、そう云う子でしたから……。
 いえ。考えていたと云うのは、克也のことではありません。私のしたことについてです。
 あのとき。
 倒れている彼女を発見して、私たちはとても混乱していました。希も、怜と克也も、何処かへ電話を掛けにいってしまって、私はひとり、ぼんやり立ち尽くしていました。目の前には、今しがた見たばかりの光景がちらついていました。倒れている尚美、明らかに誰かにやられたのだと分かる傷。嘘だ、嘘だって思いました。今見たはずの光景が現実だとは、あまり、信じられなかった。
 血はそんなに出ていなかったけれど、その部屋全体の空気が何となく冷え冷えして、そのくせむっとこもっていたこと。夕陽があかあかと西向きの窓から差し込んで、部屋を赤く染めていたこと。希の声、怜の声、克也の声。全部、嘘っぽかった。
 否本当は、実にリアリティに溢れていた、と云った方が正しいのかも知れない。とにかくそれは、強い、強い光景だったのです。ずっと落ち着かない気分でした。死体を発見したからではなく、死体が気になって仕方がなかった。
 そのうち私は、自分がどうしても彼女のところへ戻りたいと思っていることに気付きました。怜の声が廊下に響いているのを聞きながら、私はそっと彼らのそばから離れました。誰も気付いてはいないようでした。気付かれては困る、と云うこともその時は特にはなかったのですが、死体のところに戻ろうとしている私の気持ちを説明出来る自信はありませんでしたから、ひとりでそっと、歩き出しました。もう一度、もう一度彼女を自分の眼で、確かめて、よく見ようと思ったのです。
 廊下を急いで駆け抜け、あの部屋へ入りました。
 彼女は勿論先と変わらず、同じ形で倒れていました。部屋はいよいよ夕陽が差し込んでいて、やっぱり舞台装置のようでした。

 彼女の倒れているところに近付きながら、私はどんどん冷静になっていったことを自覚しています。
 尚美について云えば、私は彼女のことを好きでした。誰にでも好かれる性格とは云い難かったかも知れませんが、私は彼女を友人として好きでした。
 私は彼女のそばに寄り、無意識にその手を取りました。力を失っている時の人間の手と云うものは、存外に重たいものです。
 助かるだろう。私はそう思いました。彼女を前にして。病院に運び込まれたら、きっと助かっていたでしょう。誰だ、死んでる! なんて云ったのは──克也です──、と思いましたね…ふゝゝ。とにかく、まだ息はありました。
 ならば、何故。私はあんなことをしたのか。
 あのとき。
 私は尚美の腕を取り、抱き上げました。その瞬間から、もう、自分が何をしようとしているかは知っていました。落ち着いていました。何も考えていなかった。
 あの部屋から非常口までは近かったから、作業はすぐ済んだ。少し、息が上がったけれど、簡単でした。とても、簡単でした。
 え?
 そうです。
 私が、尚美を動かしました。
 あの部屋から引き出して、非常口から外に出て、池に落としました。
 池です。そう、あの棟の裏にある池です。簡単でした。
 私がそうしなければ、彼女は助かっていたでしょう。だから、彼女を殺したのは私です。殺人と死体遺棄です。遺棄、じゃなかったんですけどね。
 非常口から出て、池の淵で、私は彼女を持ち上げて、重たかったけれど、抱き締めました。それは一瞬だったけれど、一生分くらいを込めた、何十分の一秒でした。それから私は腕をほどいたので、彼女の躯はあの池に落下しました。そう、まるで尚美が生きて、池の淵で足を滑らせたみたいだった。声を出したらどうしよう、って思ったわ。それくらい、自分から落ちてしまった。落下運動だけが、物体に動を与えますね。その部分だけ、私の記憶の中ではスロゥモーションです。

 私は急いで部屋に戻り、床に付着していた血痕を拭き取りました。あまり汚れてはいなかったし、専門の鑑識を欺くためではありませんから、それで十分でした。ただ他の三人が戻ってきたときに、この部屋で起こったことが、表面上姿をひそめていたら、それでよかった。実はあのとき、証拠は沢山残されていたんです。私の足だって、池の飛沫で湿っていた。状況証拠は数多くありましたが、私たちの中には金田一君もコナン君もいないのだから大丈夫だと、私は高をくくっていました。だって本当に、大丈夫だったですもの。
 理由? 理由ですか…。
 それは、夜じゅう考えていたことなんです。今も分かりません。大体、後から考え出した理由なんて、絶対に真実ではないでしょう? 私はあのとき、何も考えていませんでした。純度と硬度の高い、滅多にないような時間でした。でも……ええ、そうですね。世間の人々はいちいち理由を欲しがるのだと云うことは知っています。きっと彼らは、理解出来ないことを恐れるのでしょう。
 相手が尚美だったから、ではありませんよ。尚美には悪いけれど、相手が誰であれ、私はそうしただろうと思います。尚美である、と云うことよりも、瀕死である、と云うことの方が重要だったと思います。そう、ただ相手が動けなければ良かったんです。私、異常ですか? 怖いですか、私のこと。でも、だって、そうでしょう? 理由がないと異常ですか。世界中で、特にひとの心の中なんて、説明のつかないことの方が多いのではありませんか? どうしてそんなに理由に貪欲なのです?
 えっと。私、毎日同じこと話してます?そうかな…。
 はい?…いいえ、克也をかばってしたことではありません。確かに病院に運ばれて命を取り留めたら、尚美はやがて誰にやられたのかを供述していたでしょう。そうしたら、克也の犯行──私は過失だと思いますが──が露呈する。でも、それを思って彼をかばい、彼女の口を塞いだ、と云うわけではありません。有り体に云って私、克也よりも尚美の方が好きでしたよ。味方をするなら尚美だったと思います。  それに、被害者に訊ねる迄もなく犯人など分かりますでしょう?犯罪とは、その程度のものです。警察の検挙率のリスクを計算出来ない者と、一時的に計算する余裕を失っていた者だけが、犯罪に手を染めるのです。
 ……何だか可笑しい。だって、私自身その、犯罪に手を染めた一人ですものね。さあ私は一体、どちらだったでしょう?
 夜が明けたら、ほっとしました。たぶん怜か希かが、警察へいくだろうと思いました。尚美も遅かれ早かれ発見されるでしょう。克也が自首する可能性もあります。それに何よりも私自身が、警察へ出向くかも知れないと思いました。それは何となく、そのときには一筋の希望と云う感じでした。
 未来の私の行動など、私には全然分かりません。
 でもほら、この通り。今、警察にいるんですものね。
 あの凄く疲れる一夜が過ぎて、朝になってから、ひとりで下宿の周りを少し歩きました。 木々の濃い緑色が眼に滲みて、痛かったです。私は少しだけ泣きました。そのとき初めて、尚美のことを想いました。彼女は今、冷たいでしょうか、寒いでしょうか。そうすると少しだけ、尚美に申し訳ない気がして、私は独りでくすりと笑い、散歩を続けました。
 そう云えば私は昔から、つめたいものが好きだった。最後にはつめたくなってしまうのだから、あたたかいものなど、未だ、にせもの。そう思っていたのです。寂しいのが、好きです。
 そんなことを思い出しつつ、私は歩き続けました。まだとても早朝で、人通りは殆どなかったです。静かでした。私はゆっくりと歩きました。大学のある方向とか、遠くの景色とか、広い空とかを、じっと眺めながら歩きました。少なくとも暫くの間、見られなくなるような気がしたのです。


previous page ←*→top page




[★高収入が可能!WEBデザインのプロになってみない?! Click Here! 自宅で仕事がしたい人必見! Click Here!]
[ CGIレンタルサービス | 100MBの無料HPスペース | 検索エンジン登録代行サービス ]
[ 初心者でも安心なレンタルサーバー。50MBで250円から。CGI・SSI・PHPが使えます。 ]


FC2 キャッシング 出会い 無料アクセス解析